
四〇代からの
男磨きラボ
五〇歳から『逆転する』男へ。
こんな悩みはないだろうか?
四〇歳を過ぎたあたりから、男というものは妙に静かに焦りはじめる。鏡をのぞけば生え際が心もとなく、気力はあるのに体だけがのんびり構えている。仕事では「経験者」として扱われつつ、実のところ誰にも甘えられない年齢でもある。家では家族のために頑張っているつもりが、ふと虚しさが胸をかすめる。若いころの勢いはどこへ行ったのか――そんな取り返しのつかない感覚に、ため息がひとつ増えるのだ。
「薄毛」の悩み
四〇歳を過ぎると、薄毛の気配はまるで忍び足で近づいてくる。朝、鏡の前で分け目が広がった気がして眉をひそめる。
まだ大丈夫だと言い聞かせても、風や照明の下では心がざわつく。誰にも言えない小さな不安が、じわりと日常に影を落とすのだ。

「精力減退」の悩み
四〇歳を過ぎると、精力というものは黙って席を外す癖がつくらしい。気持ちは前のめりなのに、体だけが「まあ落ち着きなさい」と勝手にブレーキを踏む。
昔の勢いを思い出してみても、どこか遠い出来事のようで少し切なくなる。誰に相談するでもなく、ひとり胸の内でため息をつく――そんな静かな葛藤が、日々の端っこにそっと居座るのだ。

「身体的」な老い
四〇歳を過ぎると、身体の老いは知らせもなく居座りはじめる。階段を上っただけで息があがり、昔は何でもなかった重さが妙にこたえる。
朝起きれば、どこが痛いのか自分でもわからない不調がひとつはある。若い頃の身体は返事が早かったのに、今は、のそのそと動き出すばかりだ。そんな変化に戸惑いながらも、誰にも言えずにそっと自分へ苦笑する日が増えていく。

「お金・働き方」
四〇歳を過ぎると、お金と働き方の悩みは、まるで長居する客のように居座る。若い頃のように勢いで乗り切るわけにもいかず、かといって冒険する勇気も削られていく。
給料は伸び悩み、肩書きばかりが重たく感じられる。家族のことを思えば無茶もできず、ため息だけが小さく積もる。現実と理想の間で、静かに足踏みするような日々なのだ。

「人間関係」の悩み
四〇歳を過ぎると、人間関係は急に面倒くささを増してくる。若い頃のように勢いで仲良くなるわけにもいかず、かといって距離を置けば「冷たい」などと言われる。
仕事では気遣いばかりが増え、家では家で微妙な空気を読む羽目になる。誰かと深くつながりたい気持ちは残っているのに、傷つくのはもうごめんだ――そんな複雑な思いが胸の奥でひっそり渦を巻くのだ。

ここではキレイゴトを並べ立てるつもりは毛頭ない。五〇を迎えるまでに僕が実際につまずき、夜中にひとりでため息をついた出来事を、そのまま書いていくつもりだ。
うまくいったことも、情けなくて思い出したくないことも、少しでも再現性のある形で伝えられればいい。誰かの役に立つかどうかはわからないが、せめて「同じことで悩んでいたのは自分だけじゃなかった」と思ってもらえたら、それで十分だ。
「男磨きラボ」では、日々こっそり胸の内に溜まっていく悩みをほぐし、気づけば不要品のように扱われがちな中年男性が、せめてふつうの暮らしに戻れるよう、必要な知恵をそっと手渡すつもりだ。
大げさな救済ではないけれど、君が少しでも不幸の縁から離れられるように――そんな思いで続けているのである。
五〇歳になって、気づいたこと
五〇歳になってみると、これまで胸の奥でこねくり回してきた悩みの多くが、実は悩まなくてよかったものばかりだと気づく。
どうにもならないことに眉間を寄せ、ひとり勝手に疲れていた自分を思い返すと、少し苦笑したくなる。そんな経験を重ねてきた僕だからこそ、これからの君には、避けられる悩みや、ほんの少しの知恵でかわしてしまえる困りごとを、そっと伝えたいと思うのだ。
この年代の悩みというものは、妙に静かで、誰にも相談できず、ただ自分の中でじわじわ膨らんでいく。僕も例外ではなく、長いことひとりで悶々としていた。
だからこそ、君には同じ遠回りをしてほしくない。ここでの言葉が、ほんの少しでも君の肩の荷を軽くし、日々の重たさを和らげる手助けになれば――それだけで十分だと思っている。

薄毛は治療する
薄毛はAGAでさっさと治すに限る。あれほど自信を奪うものもないのだ。治療は思うほど高くも難しくもなく、肩の力が抜けるほど手軽である。

趣味を見つける
仕事以外の居場所をそっと育てておく。子育てが終われば、家の中での自分の席はいつの間にか消える。その前に、心の避難場所を作っておくことが大切なのだ。

働き方を考える
お金はやっぱり大事で、元手がなければ何も動き出さない。副業や転職で収入を底上げする必要がある。君の力は、会社の外でこそ伸びやかに光るのだ。
五〇歳になってようやく気づいたのは、自分に自信を持つことの大切さである。薄毛ひとつで心はしぼみ、家でも外でも居場所がなければ、つい自分を後回しにして他人のために動いてしまう。だけど結局のところ、何をするにもお金は必要で、その現実からは逃げられない。
自信がひとつ育てば、人は自然と寄ってくるし、人生も思ったより軽やかに回りはじめる。あと何年働くのかわからない会社のために、身を削って尽くすことが急にばかばかしく思えてくるのだ。
人生の後半を楽しくするには、実は四〇代、五〇代の過ごし方が肝心である。体力も気力もまだ残っている今のうちに、どう楽しむかを覚えておかないと、仕事を手放した瞬間から、思いがけない寂しさが押し寄せてくる。